A Maori viewpoint


オヌク社総支配人、レス・ストウェル氏によるマヌカ業界とマオリのかかわりについての見解


1990年後半から2000年代初頭にかけて、マヌカの主産地はニュージーランド北島東岸コラマンデル半島で、まだ養蜂業者の数も限られていました。

 

巣箱の大半は、東海岸を中心としたマオリの複数のコミュニティ所有地に設置されましたが、巣箱の設置が認められたことに対する謝礼としては、製品となったマヌカハニーが渡されただけでした。

 

当時と現在

当時、養蜂業者というものは「ゴム草履を履いた長髪のヒッピー集団」だと考えられており、養蜂業そのものも、やや規制過剰とも思われる現代に比べれば、体系化されていませんでした。

 

その頃の養蜂業者の主な収入源はキウイの授粉によるもので、アラタキなどの少数の老舗ファミリー・ビジネスを除き、はちみつ製造は副次的な扱いでした。

 

2000年代初頭、ひとりのマオリのビジネスマンと、ふたつのマオリ・トラスト(企業合同)が、ファカアリ養蜂社Whakaari Beekeepers Ltd と東海岸養蜂社East Coast Beekeepers Ltd を立ち上げました。2社はファンガパラオアWhangaparaoaとよばれる、辺境の集落のはずれで操業を開始しました。

 

高いUMF値

ビーキーパー2人、巣箱わずか500個という規模でした。2003年までに、2社が所有する巣箱は2,000個にまで増え、ニュージーランドでも有数の、高いUMF値を持つマヌカを製造するようになりました。

 

UMF値の高いマヌカが自生する森は、この2社の眼の前に広がっており、東海岸全域をこの2社が所有しているようなものでした。

2社のはちみつ製造の施設は古色蒼然たるもので、初期には、エドモンド・ヒラリー(訳註:世界初のエベレスト登頂を達成した、ニュージーランドの登山家。父親が養蜂家で、ヒラリーも手伝いをしていた)のものであった道具も使用されていました。

 

マオリブランド開発

2004年、私はファカアリ・インターナショナル社Whakaari International社を立ち上げましたが、この会社が、ファカアリ養蜂社と東海岸養蜂社のマーケティングを大いに強化しました。私たちは「オラOra」というオリジナルのブランドを作りました。


マオリ族は酪農にも投資しています。

この写真は、ロトマハナ湖の近くで撮られた
オヌク第三号の酪農場の 門です。

レス・ストウェル氏とヘイデン・ストウェル氏。

後ろの建物はファレヌイ(会議用の家)。

ファカタネにあるマタアツア・マラエMataatua Maraeで撮影。出典:オヌク社ウェブサイト


「オラ」とはマオリ語で「健康、幸福、良いこと」という意味です。当時はこれがニュージーランド国内で唯一の、マオリ・ブランドでした。

オラはちみつは、2007年には日本および中国に輸出され、2009年には英国、ドイツ、香港、シンガポール、オーストラリアへも販路を拡大しました。オラはまたニュージーランド国内でも注目されるブランドとなりました。

その後、ピーター・モラン博士の研究で、マヌカはちみつの抗菌物質がブームとなるにつれ、マオリのマヌカが爆発的に売れるようになりました。


世界中に輸出

この8年の間にマオリの人々が多数、小規模養蜂を始めました。ビジネスはまず、自分の土地に数百個の巣箱を設置するところからはじまりました。オリジナルのマオリ・ブランド名で、世界中に輸出している業者もいます。このこと自体が大きな進展だと言えます。

 

こうしたマオリの会社で、今ではニュージーランドでも最大級の規模になったところもあり、企業として敬意を払われる存在となっています。

 

マオリでない、大規模なはちみつ輸出業者や養蜂家は、マヌカの森での養蜂を続けるため、あるいは新たに養蜂を始めるため、マオリを支援しています。マヌカの森は北島のほぼ全域にあり、その大半をマオリが所有しています。

 

資源になる森

もう一つ興味深いことがあります。それは、ここ3~4年でマオリの名前を冠したブランドが増えてきたということです。マオリの人々やマオリの土地の起源と歴史が、マオリ養蜂にとって重要なものになりました。

 

私はよく「誰であれ、倉庫に品物を持つ者がその業界を支配する」と言ってきました。今なら「誰であれ、資源になる森を持っている者がその業界を支配する」といえましょう。

 

2007年国営放送で、私は次のように述べました。「マオリが資源となる森を持ち続けている限り、世界はマオリの意のままになるだろう」と。

 

最大のステイクホルダー

これから10年のうちには、マオリが養蜂業界最大のステイクホルダーになるでしょう。これにより、これまでは貧しい辺境の地であったファンガパラオア(マオリ語で「クジラの湾」の意)の人々に活躍の場が与えられ、そして豊かな人生をあゆむ機会がもたらされることを願っています。