歴史が染み込んでいます

向かって右:はちみつを運ぶトラックにもたれる、アルビー・ピアソンの息子・バート 1930年代(推定)
向かって右:はちみつを運ぶトラックにもたれる、アルビー・ピアソンの息子・バート 1930年代(推定)

タヒ・エステート社は、新しい企業のように見えますが、実は長年にわたりファミリー・ビジネスとしてはちみつを製造してきた会社が、新しく始めた部門の一つなのです。

 

1888年、ピアソン兄弟が北島で養蜂業を起こし、北島のワイカト、コーラマンデル、ベイ・オブ・プレンティに巣箱をおきました。採れたはちみつはハミルトンの工場で処理していました。

 

兄弟社はベイ・オブ・プレンティ沿岸部のワイヒ・ビーチにもうひとつ、養蜂基地を持っていました。遠方においた巣箱を管理するためです。

 

ピアソン兄弟社を起こしたトム・ピアソンとアルビー・ピアソン兄弟は北

島・ハミルトンの出身です。兄弟は甥のハワード・ポラードに養蜂を教えました。ハワードは甥のジョン・クレイグに蜂の飼い方を教えたうえ、最初の巣箱を与えました。

 

ジョンは養蜂家としてタヒで認可を受け、現在ではジョンの娘にあたるスーザンが会社の過半数株式を所有しています。

 

このようにいろいろな姓の人びとがタヒはちみつ社の歴史には登場しますが、タヒはちみつは128年にわたりファミリー・ビジネスとして受け継がれてきました。タヒでは世代を超え、大自然の中で養蜂が続けられています。


ピアソン兄弟社のはちみつ缶のラベル 1920年代(推定)
ピアソン兄弟社のはちみつ缶のラベル 1920年代(推定)

Steeped in history | updated 2022.7.22